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井原に残る里程標

 此処に「里程標石」 のことを書き始めて、ひとつき半ほど経ちました。 暫く休んでいたのは、8月下旬から
9月頭に掛けて、立て続けに10基近い現物と、7基ほどの伝承記録が出てきたからです。
全体像に関する新たな見通しも出てきたので、過去の記録を整理整頓しながら、纏めてゆきます。

 取り敢えず、広義の井原市に残る、そして多分存在した、石たちの物語です;-
なお、この調査活動の中で、井原市文化財センター/芳井歴史資料館の示唆・新たな聴き取りの援けを受けました。
井原市(旧芳井町)の文化財調査に委員として大きくかかわられた、伊藤文正先生には重要な示唆を頂きました。それぞれ感謝します。

 本論に入ります。 調査予定(現地確認予定)のものが3基ありますが、いずれも最新情報なので、遭遇可能と思われます。
そうすると、井原市内でここまでに分かったものは、旧山陽道を西に向かった、「十一里」(詳しくは『距岡山元標十一里』、以下同じ)
~「十三里」の3基、七日市辺りで分岐して北に向かう「十三里」(東城街道十三里)~「十八里」の6基になります。

 各々の設置位置、現況、標記文字の詳細は、今は省略しますが、山陽道筋の「十二里」:西江原町にあったはず/東城街道筋の
「十四里」(川相の旧落合橋前後にあったはず)/同「十五里」(下鴫の南部にあった?)は今のところ伝承も得られていません。
山陽道の「十一里」は破断・現況保存/東城街道の「十七里」は頭部紛失ですが、他はほぼ完品です。
このように見てゆくと、知り得た限りでは、井原域での残存率(二つの道筋ともに67%)は高いといえます。

なお、今の井原市域で、それ以外にないかと問われれば、現段階で答える人は出ていませんが、原理的には、芳井・吉井から
北あるいは北東に進む道/西江原から北にたどる2本の道などは重要度から言って、設置された可能性が強い道です。
南の笠岡/金浦に連絡する道に、今のところ、言い伝えすらキャッチできていないのも気になります。



  • 最終更新:2009-09-08 15:13:34