@新庄/@三石/@芳井/@石蟹
@新庄村二ツ橋/@三石福生/@芳井上鴫/@新見石蟹|@伊部大西 09/08/08創始 09/08/18加筆
== 新規加筆 @09/08/18
8/14に県立図書館で、下記の通り、石蟹・上長屋の前後の写真・伝承記録が見つかり、
更に、中津井の前後に2基の写真と3~4基の伝承記録が得られ、新たな系統が見えてきました。
便宜上、算用数字で書きます;-
新見往来 16里/17里/18里/20里/21里 伝承 | 19里/22里 写真
これで、伝承記録をふくめると、16里から26里まで、連続11基が繋がりました。
中津井前後 17里/18里 写真 | 19里(2基?)/20里 伝承
これは新しい系統と言わざるを得ません。 高梁拾壱里あるいは、拾弐里から分岐と推論。
3種の報告書・冊子があって、記載がまちまちなので、もう少し現地調査をしたのちに整理します。
=== @09/08/18 ここまで
先報のように、明治の里程標石が新庄二ツ橋で記録されている(2000年)ことが判りました。
08/06に、山彦と山鐘が、県道96号三石福生(帆坂峠手前)で、まったく偶然に 「距 三石一里」
実物に遭遇しました。 形態的には、「距 牛窓三里」 が類型です。
<現在のところ、「三石」 は、諸文献に出現していません>
08/08の、県立図書館での関連書籍スキャニングで、
◎芳井・上鴫に 「(距 岡山?)元標十七里」 が見つかりました(芳井の文化財#3 石造物 H2-6)
蛇の穴(県道沿い) というから、石灰岩のコンベアが頭上を横切るところの すぐ南です。
!! 「(距 岡山?)」 は報告書編者の推定挿入 !!
註) 上鴫から岡山元標は、直線距離でジャスト50km=十二里半:三割増しで十六里強で妥当か?
旧・山陽道:出部が岡山十三里なので、井原(七日市)まで戻ると2k800mですから、岡山から十二里十一丁
井原-上鴫が直線で13k800m:三割増しで17k800m=四里十七丁ですから、上鴫は岡山から
十六里二十八丁で、ほぼ妥当な値になりそうですね。
◎石蟹・長屋地区(旧県道)に、「距 岡山元標(十九里)」 が見つかりました(新見市の石造文化財 S55-3)
未確認・水準点#2211 <奇数番!> から、300m 程度北西です。
!! 補字 「(十九里)」 は報告書編者の推定 !! 合理的なるべし
いずれも、モノクロ写真が示されています。
もう一つ、備前市の石造物(郷土研究の会編 S54-1)には、
◎道しるべ|道標|西鶴山・二ノ樋|明治十四年一月|表面の里数記録はないが、三石管轄五里十四丁など
◎岡山元標|道標|伊部大西|明治十四年一月| 表面・側面の里数記録なし
の記載があります。 <「三石一里」 を想像させる物件の記載は一切はありません>
「二ノ樋」 は五里が相当、採録済みで、「伊部大西」 は七六里でしょうか、山彦としては初見です。
5万分の一地図では、「大西」 は大ヶ池の北東の集落。 いずれも写真はありませんでした。
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二十四里@下神代の再確認、二十六里の文献上の(口承的にも)遭遇、~~ から120時間ほどで、7基に
『遭遇』 したことになります。 しかも、それらは一つのラインに乗るのではなく、明らかに4~5の系統に属します。
新庄村:出雲街道(距 津山元標)/新見近在:高梁・新見・伯備往来(距 岡山元標)/
芳井:??往来(距 岡山?元標) <筆者は 笠岡往来 で探していた>
三石: これは近隣の港湾や集積地に向かう種別か?
伊部大西:山陽道(距 岡山元標) に違いないでしょう。 もし、「六里」が見つかれば、大内神社付近か。
なお、「二十四里@下神代」 の系統に関しては、検討の余地が残ります。
系統樹が見えて来る以前に~収束に向かう前に~、混乱に向かっているようにも思えます。
筆者・山彦は弁証法的議論の信奉者ではありませんが、TheseとAnti-these のサイクルの速さに戸惑っています。
- 最終更新:2009-08-18 23:06:10
