WorkShop高梁まで拾壱里
ネット内のWorkShop 「『里程標:距岡山元標拾壱里』についての考察」 を開きます。 09/06/03 山彦
09/07/28に、『二十里』 相当と推定されるものが 「再発見」 されたので、今後改稿されます。
<動機>
高梁市資料館の前庭に 『距岡山元標拾壱里』 の標石が保存されています。 明治の10年後に岡山県が
設置したもので、同類は、県下に全部で30~40基確認されていて、「ころっとに」 も殆んどが掲載されています。
岡山から高梁方面に向かうものでは、残念ながら2基しか現存せず、1基は加茂(高松地区)の東端にあり、
若干移動せしめられたとしても、現地に立っています。
問題のものは、明らかに移動せしめられたもので、元の位置が判っていません。 設置位置を確定することは
いくつかの意味で重要なことです。
まず、この種の里程標石は基準原点(岡山あるいは津山[そのほか])を示すが、到達点を書いていません。*)
今の標石では、目標が松山(高梁)なのか成羽か新見なのかを、また経路を、知ることは大切なことです。
また、近隣の標石を探索するにも大きな手掛かりとなります。 具体的に言えば、拾里/拾弐里を探したい
のです。 もっとも、設置が松山どまりなら、拾弐里を探すのは無意味ですね。
*) 大別して2種あり、主流は岡山/津山元標からの隔たりを明示し、あえて傍流と呼ぶものでは距西大寺/
距牛窓/距玉島/距金川(文献上存在)/と、基準点とも到達点とも理解される表記です。
<知識の現況>
現段階で、得られている公表資料は、岡山文庫#70 p127 だけです。
これに依ると、昭和51年時点ですでに移動せしめられていて、高梁川西岸の「玄賓庵」にあったと、寸法資料
付きで、モノクロ写真が記載されています。 現段階では、同一物が、資料館にふたたび遷されたと理解して
いますが、再移設の裏付けは得られていません。 (09/05/18現地聴き取り)
上記の、巌津説では 「落合町阿部(成羽街道)から玄賓庵に移設された」 ことになっています。
<新着情報>
09/05/18 に資料館隣接の図書館で、聴き取り調査したことに対する事後電話回答に依ると;-
地元の郷土史研究者(退職教員の方)からの伝言で 「(問題の)標石は津川町今津にあったと聞いた」
由でした。 直接ではなく、しかも、面談情報ではないので、微細には判りませんが、松山城下と今津では
凡そ壱里違うことになります。 伝聞の伝言ですから、「今津から移された」 のか 「今津にも(同類が)あった」
のか聞き返すよすががありませんので、今津への直接聴き取り紀行が意味あるかどうかについて
ここで検討したいのです。
<机上検討>
これから行うのは、まさしく、机上の検討です。 ~~つまらないジョーク絡みで、中国の人は飛行機
電算機のことを 「机」 と表記しますね。~~
「ころっと」 に既に採録されている道標/里程標/キロポスト の情報だけから、『距岡山 拾壱里』 の
本来位置を数値的に絞り込もうとする試みです。 まさしく WorkShop に相当します。
<どんな手持ちの情報が?>
大別して、4種の情報が採録されています。 時代的に古い方から、A)一里塚/B)該当の標石/
C)一般の里程道標/D)現代の国道キロポスト の4種としておきます。
松山(高梁)方面を意識するとき、これらが吉備津神社門前から約2kmの円内に集中しているので、
ここを基準に相互の位置関係を調べて行きます。
~~ 具体的なことは、既に、筆者は試みましたが、値打ちを持たせて、暫く書きません ~~
<暫定結論>
筆者としては、暫定結論を得ていますが、書かないで措きます。 09/07/29に到って、この作業に
現実的な意味が出てきました。
- 最終更新:2009-07-30 10:54:16
